大倉三郎
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大倉三郎(おおくら さぶろう,1900年2月24日—1983年11月26日),是一位出身於京都市的建築師及教育家,曾任教於京都工藝纖維大學、西日本工業大學、國立臺灣大學及大阪工業大学。
生平簡歷
1900年2月24日(明治33年),大倉三郎出生於京都市。
1923年(大正12年),大倉氏畢業於京都帝国大学建築学科(第1期生),進入宗建築事務所任職。
1928年(昭和3年),大倉氏出任京都帝国大学営繕勤務。
1940年7月8日至1945年10月25日間,大倉氏出任營繕課長(屬總督官房,1942年11月1日後屬財務局),並在任職期間主持臺南赤崁樓古蹟修復工事設計[1]。
1944年,大倉氏協助創立臺南工業專門學校建築學科並兼任主授「建築計劃」[1]。1946年,大倉氏被臺灣省行政長官公署留用,出任臺灣大學工學部土木學科教授。
1948年,大倉氏返回日本。
1949年,大倉氏出任大阪工業大学教授。1951年,大倉氏出任京都工藝繊維大学教授。
1957年,大倉氏以「戈特弗里德·森佩爾的建築論的研究」(ゴットフリート・ゼムベーの建築論的研究)榮獲日本建築学会賞。
1960年至1973年間,大倉氏擔任京都府建築士会会長。
1962年,大倉氏出任京都工芸繊維大学校長;1966年,大倉氏辭去京都工芸繊維大学職務。
1967年,大倉氏出任西日本工業大学校長;1977年,大倉氏辭去西日本工業大学職務。
1983年11月26日,大倉氏逝世。
代表作品
- 萬年社京都支社(1925年,宗建築事務所,京都市)
- 旧伊藤千太郎邸(旧近畿建築会館、旧ヒサヤ大黒堂玄武会館,1926年,大阪市)
- ヴォヤージュドゥルミエール 京都七条迎賓館(旧鴻池銀行七条支店、旧若林仏具製作所,1927年,宗建築事務所,京都市下京区)[2]
- 生駒時計店(1930年,宗建築事務所,大阪市中央区)
- 熊本YMCA花陵会館(1931年,熊本市)
- 京都大学農学部演習林事務室(1931年,京都市左京区)
- 京都大学法学部経済学部本館(1933年,京都市左京区)
- 龍谷大学図書館(1936年,京都市下京区)
- 臺北州立臺北第三高等女學校(1939年,今臺北市立中山女子高級中學)
- 同志社大學明德館(1954年,京都市上京区)
相關
參考
- ^ 1.0 1.1 S L Yen Forum • View topic - 1944:顏水龍參與台灣台南赤崁樓整修. slyen.org. [2017-02-06]. (原始内容存档于2020-12-01) (英国英语).
- ^ gipsypapa. レトロな建物を訪ねて. レトロな建物を訪ねて. [2017-02-06]. (原始内容存档于2017-02-07) (日语).
- HIROBA表紙シリーズ原画展 図録(大阪府建築士会・近畿建築士会協議会)
- 新版日本近代建築総覧(日本建築学会)
- 関西の近代建築(石田潤一郎著)
- ひろば(近畿建築士会協議会)1983年6月号