User:JuneAugust/伊号第八潜水艦

Submarine I-8
历史
Japanese Navy Ensign
艦名 I-8
下水日 1936年7月20日
完工日 1937-1938
结局 1945年3月31日在冲绳岛沉没
技术数据
艦級 Junsen-class J3 Type submarine
排水量 列表错误:<br /> list(帮助
2,525 long ton(2,566 t) 水上
3,583 long ton(3,640 t) 水下
全長 358.5英尺6英寸(109.42米)
全寬 29英尺8英寸(9.04米)
吃水 17英尺3英寸(5.26米)
動力來源 列表错误:<br /> list(帮助
Diesel-electric
2 diesel engines, 11,200 hp(8,400 kW) (水上)
Electric motors, 2,800 hp(2,100 kW) (水下)
速度 列表错误:<br /> list(帮助
23(26英里每小時;43公里每小時) (水上)
8 kn(9.2 mph;15 km/h) (水下)
續航距離 14,000 nmi(26,000 km) at 16 kn(18 mph;30 km/h)
潛航深度 100米(330英尺)
乘員 100名官兵
武器裝備 列表错误:<br /> list(帮助
• 1 × 140 mm(6英寸)/50 caliber gun
• 2 × 25 mm AA guns
• 6 × 533 mm(21.0英寸) 舰首鱼雷发射管
• 21鱼雷
艦載機 1 × Yokosuka E14Y seaplane
伊号第八潜水艦

伊号第八潜水艦(いごうだいはちせんすいかん)是大日本帝国海軍潜水艦伊七型潜水艦(巡潜3型)的2号舰。第二次世界大戦の最中に遣独潜水艦作戦としてドイツと日本を往復したことで知られる。

艦歴

建造

1934年(昭和9年)のマル2計画により同年10月11日川崎造船所动工,1936年(昭和11年)7月20日下水,1938年(昭和13年)12月15日(一说12月5日)竣工。入横須賀鎮守府籍。

開戦

1941年(昭和16年)12月8日真珠湾攻撃時には後詰めとしてオアフ島付近に出撃した。その後、アメリカ西海岸偵察任務に就く。1942年5月6日ルオット島で味方哨戒機に誤爆されて一時行動不能となりで修理。9月15日呉を出港。9月下旬より12月末まで南方作戦(数次にわたるガダルカナル島への輸送作戦や撤退作戦)に従事。12月6日にカミンボ岬着。翌年1月23日と31日の2回カントン島を砲撃、続いてフィジー諸島、サモア島等偵察のあと、トラック島を経て3月21日呉に入港後、修理と遣独作戦に備えた改造を受ける。

遣独潜水艦作战

印度洋 通商破壊任務

1944年1月25日艦長に有泉龍之介(兵51)中校(10月15日大校)が着任。インド洋で通商破壊の任務につく。2月19日从出港。3月上旬、ペナン進出。以後、5隻の船を撃沈[1]した。7月には日本へ回航中の呂号第五〇一潜水艦との会合に向かうも、同艦が5月に米駆逐艦の攻撃により戦没してしまったためやむなく帰還。 10月9日横須賀入港後修理に従事。12月1日艦長篠原茂夫(兵62)少校着任。

国際法違反事件

最後

歴代艦長

艤装員長

  1. 後藤汎 中校:1938年5月20日 -

艦長

  1. 後藤汎 中校:1938年12月5日 -
  2. 清水太郎 中校:1939年11月15日 -
  3. 江見哲四郎 中校:1941年10月31日 -
  4. 内野信二 中校:1942年7月25日 -
  5. 有泉龍之介 中校:1944年1月15日 -
  6. 篠原茂夫 少校:1944年12月1日 -

参考文献

Template:参照方法

脚注

  1. ^ 据《艦長たちの軍艦史》记载,击沉数目为4艘(26594吨)。