堀场一雄
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堀场一雄(日语:堀場 一雄(ほりば かずお),1901年(明治34年)2月1日—1953年(昭和28年)10月21日)为日本陆军军人。最终阶级陆军大佐。爱知县出身。
军历
- 1914年(大正3年)9月 名古屋陆军地方幼年学校入学
- 1918年(大正7年)7月 同校・毕业(获赠银表)
- 9月 陆军中央幼年学校入学
- 1920年(大正9年)3月 同校・毕业
- 10月 陆军士官学校入学(第34期)
- 1922年(大正11年)7月 同校・毕业
- 1925年(大正14年)10月 任步兵中尉
- 1927年(昭和2年)12月 陆军大学校入学
- 1930年(昭和5年)11月 同校・毕业(42期恩赐)
- 1931年(昭和6年)8月 任步兵大尉
- 10月 补参谋本部付将校(作战课兵站班付)
- 1932年(昭和7年)12月 补参谋本部部员(作战课兵站班)
- 1934年(昭和9年)4月 补陆军省军务局附
- 5月 支那・欧洲视察后、派驻苏联(大使馆付陆军武官补佐官)
- 1937年(昭和12年)3月 补参谋本部部员(战争指导课)、兼陆军省整备局课员、企划院事务官
- 1939年(昭和14年)3月 任航空兵中佐
- 1941年(昭和16年)6月 补陆军省军务局御用挂、总力战究所所员
- 8月 任陆军大佐
- 1942年(昭和17年)8月 补滨松陆军飞行学校教官
- 11月 补飞行第62战队长
- 1943年(昭和18年)10月 补第2方面军参谋(作战、濠北)
- 1944年(昭和19年)3月 补南方军参谋(作战、南方)
- 6月 补第5航空军参谋副长(中国、朝鲜)
- 1945年(昭和20年)8月22日 补陆军省军务局附
- 11月30日 待命
- 12月1日 预备役
- 1953年(昭和28年)10月21日 病没
著书
(依据堀场遗稿、死后刊行)
- ‘支那事変戦争指导史’、时事通信社、1962年。
参考文献
- 芦泽纪之著‘ある作戦参谋の悲剧’、芙蓉书房、1974年。