新宫藩 (播磨国)
鵤藩(日语:鵤藩/いかるがはん Ikaruga-han */?)是日本播磨国揖东郡鵤的藩,元和3年9月11日(1617年10月10日)创藩,宽永4年(1627年)时转移至同郡新宫而改称为新宫藩(日语:新宮藩/しんぐうはん Shigū-han */?)[注 1],宽文10年正月28日(1670年3月19日)废藩。石高是10,000石,藩厅在鵤藩时期是鵤阵屋,新宫藩时期则是新宫阵屋。人口在享保6年(1721年)时是3,058人[2]。
新宫藩 | |
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别称 |
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日语汉字 | 新宫藩 |
平假名 | しんぐうはん |
罗马拼音 | Shigū-han |
创藩日期 | 元和3年9月11日(1617年10月10日) |
创藩理由 | 转封 |
所在地 | 播磨国揖东郡 |
大名家 | 池田家 |
石高 | 10,000石 |
人口 | 3,058人,享保6年 |
废藩日期 | 宽文10年正月28日(1670年3月19日) |
废藩理由 | 无嗣断绝 |
历史
元和3年9月11日(1617年10月10日),池田重利从摄津国川边郡和欠郡以10,000石入主鵤[注 2],并且在斑鸠寺西边设置阵屋,当时的领地是播磨国揖东郡26村。宽永2年(1625年),家老村上左兵卫派徒士杀害小姓芥川左内后,逃亡至邻近的播磨龙野藩,重利在与龙野藩本多家以及姬路藩本多家多番相议后,最终成功逼使其切腹。宽永4年(1627年),经过池田家内商议后,为了避免与本多家再起纷争,因此将阵屋迁移至领地内最北部的新宫[2]。
宽永8年11月10日(1632年1月1日),重利死去,由其子池田重政继位。庆安4年6月20日(1651年8月6日),重政死去,由次子池田薰彰继位。宽文3年正月31日(1663年3月10日),薰彰死去,由其子池田邦照继位,邦照当时年仅6岁,加上体弱多病,因此由家老富井与右卫门、年寄三浦纵房和山中一利等人主政。宽文10年正月28日(1670年3月19日),年仅13岁的邦照死去,他虽然有一弟池田重教,不过未获承认继承家督之位,新宫藩因而废藩[2][4]。
宽文10年8月,在备前冈山藩藩主池田光政以及因幡鸟取藩藩主池田光仲的奔走下,重教获提拔为旗本寄合席,获下赐揖东郡8村3,000石,即平松村[注 3]、曾我井村、中庄村、段之上村、井原村、新宫村、香山宫内村和吉岛村[注 4]。元禄8年4月4日(1695年5月16日),重教死去,由于没有嗣子,因此由冈山藩家老池田由孝之子池田由道继位。享保12年(1727年),由道将家督之位让予其子池田赖教[2][4][5]。
宽保2年4月18日(1742年5月22日),赖教死去,由池田政森三子池田赖致继位。宽政元年11月12日(1789年12月28日),赖致死去,由其子池田赖职继位。安永9年(1780年),赖职隐居,由于无子,因此他以冈山藩家老池田政方之女为养女,并且让松前资广之子作为上门女婿而继位,即池田赖完。文化6年(1809年),赖完隐居,由政方六子作为养子而继位,即池田赖功。文化11年11月24日(1815年1月4日),赖功死去,由其次子池田赖方继位。赖方先后担任西丸目付、奈良奉行、勘定奉行和町奉行等职务,天保12年(1841年)时就任为播磨守。庆应2年(1866年),赖方隐居,并且由其养子武藏金泽藩藩主米仓昌寿之子继位,即池田赖诚。明治2年(1869年)8月,新宫领并入生野县而废除[2]。
历任
家名 | 家格 | 名称 | 石高 | 藩领 |
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池田家 | 外样 阵屋 |
池田重利 | 10,000石 | 播磨国揖东郡 |
池田重政 | ||||
池田薰彰 | ||||
池田邦照 | ||||
旗本寄合席 | 池田重教 | 3,000石 | ||
池田由道 | ||||
池田赖教 | ||||
池田赖致 | ||||
池田赖职 | ||||
池田赖完 | ||||
池田赖功 | ||||
池田赖方 | ||||
池田赖诚 |
领地
令制国 | 郡 | 领地 |
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播磨国 | 揖东郡 | 篠首、上香山、上篠、下篠、吉岛、宫内、新宫、井野原、段上、市野保、曾我井、中庄、马立、下野田、山田、大住寺、中井、大市中、平方之内、助久、马场、鵤、鵤宿、太田原、平松 |
令制国 | 郡 | 领地 |
---|---|---|
播磨国 | 揖东郡 | 平松村、宿村、马立村、中庄村、上香山村、上篠村、平方村之内、马场村、大住寺、下篠村、原村、中井村、山田村、曾 |
注解
参考资料
- ^ 1.0 1.1 竹内理三、北原进、杉山博、竹内诚、所理喜夫、西垣晴次、热田公、石田善人、落合重信、田中真吾、户田芳实、前嶋雅光、八木哲浩 (编). 鵤・新宮・平松・曽我井〈たつの市〉・中野庄・段之上・井野原・宮内〈たつの市〉・吉島. 角川日本地名大辞典 兵庫県. 角川日本地名大辞典 28 日本文学Web図書館. 角川书店. 1988-10-08. ISBN 4-040-01280-1 (日语).
- ^ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 2.6 臼井寿光. 新宮藩・鵤藩. 木村础、藤野保、村上直 (编). 藩史大事典 近畿編 5 POD版. 雄山阁. 2002-04-15: 582–584. ISBN 4-639-10039-6 (日语).
- ^ 竹内理三、北原进、杉山博、竹内诚、所理喜夫、西垣晴次、有坂隆道、小林博、作道洋太郎、藤本笃 (编). 欠郡. 角川日本地名大辞典 大阪府. 角川日本地名大辞典 27 日本文学Web図書館. 角川书店. 1983-10-08. ISBN 4-040-01270-4 (日语).
- ^ 4.0 4.1 今井林太郎、热田公、石田善人、岩本次郎、浮田典良、地主乔、高尾一彦、直木孝次郎、西谷真治、柜本诚一、前嶋雅光、八木哲浩、和田邦平 (编). 新宮陣屋跡. 兵庫県の地名Ⅱ. 日本历史地名大系 29 JapanKnowledge. 平凡社. 1999-10-20. ISBN 4-582-49061-1 (日语).
- ^ 旧高旧領取調帳データベース. 国立历史民俗博物馆. [2024-07-25]. (原始内容存档于2020-11-25) (日语).
- ^ 兵库县史编辑专门委员会 (编). 第三節 所領配置の定着傾向 2 外様大名の定着. 兵庫県史 第三編 近世〔II〕 4. 兵库县. 1979-03-31: 105. 国立国会图书馆书志ID:000001446066 (日语).
- ^ 国立史料馆 (编). 一九九 池田邦照宛領知朱印状・目録(播磨新宮). 寛文朱印留 上. 史料馆丛书 1. 国立史料馆. 1980-03-28: 289–290 [2024-07-21]. 国立国会图书馆书志ID:000001455273. (原始内容存档于2024-07-21) (日语).