用户:S2000171/沙盒
公司类型 | 株式会社 |
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股票代号 | 东京证券交易所 9017 2000年3月1日上市 |
公司所在地 | 日本 〒950-8544 新潟县新潟市中央区万代一丁目6番1号(巴士中心大厦内) 37°54′59.1″N 139°3′20.4″E / 37.916417°N 139.055667°E |
设立 | 1943年(昭和18年)12月31日[1] |
产业 | 陆运业 |
法人番号 | 法人编号 |
业务范围 | 客运业务、一般旅行业务、房地产业 等[1] |
代表者 | |
已发行股份总数 |
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销售额 |
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营业利润 |
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普通利润 |
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纯利益 |
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纯资产 |
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总资产 |
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在职员工人数 |
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结算期 | 3月31日 |
会计审计师 | 高志审计公司[2] |
大股东 | |
主要子公司 | 参见#集团企业 |
相关人士 | 中野四郎太(创业者) |
外部链接 | https://www.niigata-kotsu.co.jp/ |
新潟交通株式会社(日语:新潟交通株式会社/にいがたこうつう,英:Niigata Kotsu Co.,Ltd.)是一间总部位于新潟县新潟市中央区,主要经营巴士和房地产业的公司。
概要
集团主要在新潟县下越地方和佐渡岛经营巴士业务。当中包括了在该地区的一般巴士线路和于该处到发的高速巴士线路。另外新潟交通也经营房地产业务和旅行业务等。
新潟交通集团共有三间公司经营巴士业务。新潟交通的经营范围是在新潟市中心内,包含了一般巴士线路和县内外高速巴士线路。总部与新潟交通相同的新潟交通观光巴士之经营范围包括租赁巴士业务,以及在新潟市郊外,下越地方其余地方的一般巴士线路。总部位于佐渡市的新潟交通佐渡之经营范围只限佐渡岛内的一般巴士线路和租赁巴士业务。该三间巴士公司,联同其他相关业务组成了新潟交通集团。
在2007年3月31日前,曾经设有总部位于村上市的新潟交通北(经营该市和新发田市的巴士线路),总部位于新潟市西蒲区的新潟交通西(经营新潟市秋叶区西部、南区、西蒲区、加茂市、三条市的巴士线路)。另外新潟交通观光巴士于当时的总部是在新潟市东区,当时除了经营观光巴士业务外,还有经营新潟市江南区、秋叶区东部、阿贺野市和五泉市的巴士线路。在同年4月1日,这三间公司合并为新潟交通观光巴士,总部也迁移至与新潟交通相同的地方。
新潟交通也有参与房地产业务,包括了于新潟市中心的万代、八千代地区开发商业设施万代City,同时新潟交通总部也在该设施内。此外,新潟交通也有出资成立新潟机场航站楼公司和佐渡汽船。另外成为了全日空新潟地区总代理和日本航空新潟地区代理店。使新潟交通成为了下越和佐渡地方公共交通网的公共交通网络中发挥核心作用。
另外,新潟交通曾经经营连接燕市至新潟市中心的铁路线。后来在1999年4月废除(参见新潟交通触线)。
在2007年,被新潟市指定为综合巴士城镇,新潟交通与新潟市共同合作改善巴士运营环境,形成公共交通枢纽。其中一环是引入乘车IC卡。在2011年4月24日,IC卡“Ryuto”系统开始运作,另外也实施了许多措施。
历史
大正 - 第二次世界大战期间
- 1913年(大正2年)6月8日 - 于新潟市内开设首条巴士线路(乘合自动车)(新潟站前至白山站前之间),同时为首个于新潟市内的公共交通。
- 1922年(大正11年)7月12日 - 首条正式巴士线路开始营业(新潟站前 - 白山神社前之间)。由于巴士车身为红色,因此通称为红巴士。
- 1927年(昭和2年)12月18日 - 新潟乘合自动车成立[3]。
- 1929年(昭和4年)6月30日 - 中之口电气铁道成立[4]。
- 1932年(昭和7年)
- 5月15日 - 新潟乘合自动车、新潟自动车商会与两新自动车合并,新潟合同自动车成立。当时巴士的车身设计是银色底配上蓝色腰带,这个涂装被称为“银巴士”。后来,新潟合同自动车收购了新松交通和新潟市街自动车。
- 7月7日 - 中之口电气铁道改名为新潟电铁[5]。
- 1933年(昭和8年)4月1日 - 新潟电铁线东关屋站至白根站之间开通。同年7月28日,县厅前站至东关屋站之间开通。同年8月15日,白根站至燕站之间开通,全线开通。
- 1937年(昭和12年) - 新潟合同自动车与佐渡乘合自动车合并。
- 1943年(昭和18年)
昭和(战后)
- 1946年(昭和21年)7月17日 - 随着战后燃料不足,于新潟市流作场(现时:中央区万代一丁目)总部内开始试探天然气。
- 1947年(昭和22年)2月13日 - 天然气第1号井开始喷涌[1]。同年7月,加气站竣工。
- 1949年(昭和24年)7月 - 开始于新潟证券交易所上市[1]。
- 1951年(昭和26年)2月1日 - 新潟交通巴士站大厦竣工[1]。
- 1952年(昭和27年) - 社会人棒球队新潟交通硬式棒球部成立。
- 1959年(昭和34年)
- 1962年(昭和37年)12月3日 - 随着前日八千代桥开通,巴士线路重组。
- 1963年(昭和38年)
- 8月10日 - 关闭硬式棒球部。
- 8月20日 - 新潟市内线开始实施一人控制。
- 1969年(昭和44年) - 子公司“新交Store”成立,开始开展超级市场业务。
- 1971年(昭和46年)9月30日 - 天然气巴士全面退役。所有巴士均为柴油发动机车辆[1]。
- 1973年(昭和48年)11月23日 - 万代City开幕。万代City巴士中心和大荣新潟店开始营业[1]。
- 1978年(昭和53年)9月22日 - 随着北陆自动车道长冈互通立交至新潟黑埼互通立交之间开通,公司开展高速巴士业务。开设新潟 - 长冈线[1](与越后交通联营)。
- 1983年(昭和58年)
- 1985年(昭和60年)
- 6月1日 - 随着新潟县厅迁移和5月21日千岁大桥开通。市内和郊外的巴士线路进行大幅度的重组和时间表修正。
- 12月10日 - 随着关越自动车道全线开通,开设新潟 - 东京(池袋)线之高速巴士线路[1](与西武巴士和越后交通联营)。
- 1986年(昭和61年)4月1日 - 租赁巴士部门分离至子公司,下越地方由新交租赁巴士负责,佐渡地方由新交佐渡租赁巴士负责。
- 1988年(昭和63年)9月29日 - 夜行高速巴士Okesa号开始运营[1](与阪急巴士联营)。
平成 - 令和
- 1990年(平成2年)
- 1991年(平成3年)
- 1993年(平成5年)
- 1994年(平成6年)4月1日 - 佐渡岛内所有线路均由新潟交通佐渡接管。
- 1997年(平成9年)
- 9月1日 - 日落号被废除。
- 10月2日 - 开设高速巴士线路新潟 - 会津若松线[1](与会津乘合自动车联营)。
- 1999年(平成11年)
- 2000年(平成12年)3月1日 - 随着关闭新潟证券交易所,新潟交通于东京证券交易所2部上市[1]。
- 2002年(平成14年)
- 4月1日 - 地区子公司改名。新交贷切巴士、新交北贷切巴士和新交西贷切巴士分别改名为新潟交通观光巴士、新潟交通北和新潟交通西。
- 12月 - 新潟交通所属的一般巴士车辆中,自动广播装置由8轨磁带改变为声音合成装置。
- 2003年(平成15年)10月1日 - 开设高速巴士线路新潟 - 富山线[1](与富山地方铁道联营)。
- 2004年(平成16年)3月20日 - 开设高速巴士线路新潟 - 郡山线[1](与福岛交通联营)。
- 2005年(平成17年)
- 2006年(平成18年)
- 5月12日 - 开设高速巴士线路新潟 - 前桥、高崎线(与日本中央巴士联营)。
- 10月27日 - 与大和Auto Works共同出资开设大和Auto Works北信越。
- 12月1日 - 新潟交通和子公司部分线路进行车费调整。市内区间均一200日圆。里程制区间中,初乘为160日圆。One Coin区间均一100日圆,最高车费为600日圆(不变)。另外,买物巴士卡于星期六可整日使用。
- 2007年(平成19年)
- 2009年(平成21年)
- 1月15日 - 新潟交通和新潟交通观光巴士所有线路进行车费调整(里程制区间中,初乘为170日圆。新潟交通线路的最高车费为600日圆(不变)。而新潟交通观光巴士的最高车费提升至630日圆。One Coin区间和市内区间的车费不变(分别为100和200日圆))。
- 4月1日 - 新潟站南口公交总站暂时启用。机场线的总站从万代口迁移至南口。“机场利木津”巴士开始行走。
- 2010年(平成22年)8月1日 - 北陆、长野方向的三条高速巴士线路开始停靠在由越后交通管理的荣和长冈北(可上下车)。
- 2011年(平成23年)
- 2013年(平成25年)
- 2014年(平成26年)
- 4月1日 - 随着增加消费税,车费也进行调整(市内均一初乘 200日圆→210日圆,郊外区间初乘 160日圆→170日圆)
- 4月15日 - 新潟市与新巴士系列签订经营业务协议[13]。
- 2015年(平成27年)
- 2019年(令和元年)10月1日 - 调整车费(市内均一车费仍然是210日圆。郊外区间初乘由170日圆升至180日圆) [2]
- 2020年(令和2年)3月31日 - 新潟市的新巴士系统经营业务协议延长半年至9月尾[15]。
- 2021年(令和3年)11月20日 - 废除RYUTO的乘车基本集点制度(Bonus Points制度继续) [3]
- 2022年(令和4年)
- 2023年(令和5年)3月31日 - 由1988年起经营34年的新潟 - 京都・大阪线结束营业。
经营
在2000年,中野进董事退任前,公司一直由创业者中野四郎太起,均由中野财阀经营公司[17][18][19][20]。
自1970年代起,新潟岛人口减少和人口构造产生了变化,加上机动化和国铁・JR东日本铁路线变得更方便,使巴士客量减少[21][22][23]。使部分小型线路被减班或取消。另外在泡沫经济后,房地产事业也遭遇低迷情况。在2002年3月,公司有息债务达到633亿日圆,这是由于受到子公司新交Store业绩不振的影响[24](在2011年3月,负债减少至约410亿日圆)。
后来由于新冠疫情关系,导致收入恶化,新潟市决定补贴公司以维修交通体系正常运作[25]。
运行线路
高速巴士
巴士线路
在1980年代新潟县厅迁移前后[21][26][27]和2015年引入新潟新巴士系统时,进行了大规模线路重组。另外在2003年1月,主要在郊外线进行巴士重组,包括了24条线路和43个系统[24][28],当中许多线路最后变为社区巴士。
社区巴士
新潟市
- 新潟市区巴士・居民巴士
- 北区区巴士(新潟市北区)→新潟交通新潟北部营业所(2007年4月1日 - 2009年3月31日)
- 东区区巴士(新潟市东区)→新潟交通观光巴士总部营业所
- 西区区巴士(新潟市西区)→新潟交通观光巴士总部营业所
- 秋叶区区巴士(新潟市秋叶区)→新潟交通观光巴士京濑营业所(2007年4月1日 - 2009年3月31日)
- 西蒲区区巴士(新潟市西蒲区)→新潟交通观光巴士潟东营业所
- 南区区巴士“彩虹巴士”(新潟市南区)→新潟交通观光巴士潟东营业所
- 以白根地区(旧白根市)中心部作为起点,于3个地区没有公共交通的地方组成线路网。在一段时期,部分巴士线路停靠北陆自动车道鸟原巴士站。
- 江南区区巴士(新潟市江南区)→新潟交通观光巴士总部营业所
- 中央区西区居民巴士(新潟市中央区)→新潟交通入船营业所
- 西区居民巴士(新潟市西区赤冢地区)→新潟交通内野营业所
其他区域
营业所
新潟交通
- 新潟东部营业所[29]
- 上所车库
- 新潟西部营业所(在1990年从青山迁移至黑埼町[30])[29]
- 新潟南部营业所(在1986年12月1日从紫竹山迁移至龟田町工业团地[31])[29]
- 酒屋车库(现时没有车辆隶属该处,现时被用作巴士掉头处)
- 新潟北部营业所[29]
- 入船营业所[29]
- 内野营业所[29]
新潟交通观光巴士
- 总部营业所[29]
- 京濑营业所[29]
- 津川营业所[29]
- 胜木营业所(旧新潟交通北)
- 村上营业所(旧新潟交通北)
- 盐野町车库(旧新潟交通北)- 现时没有车辆隶属该处,现时被用作巴士掉头处
- 下关营业所(旧新潟交通北)
- 新发田营业所(旧新潟交通北)
- 赤谷车库(旧新潟交通北)- 现时没有车辆隶属该处,现时被用作巴士掉头处
- 潟东营业所(旧新潟交通西)
新潟交通佐渡
已废除的营业所
只记载1990年代以后废除的营业所。
- 新潟交通
- 新潟中部营业所(2004年1月废除。当时与东部合并。遗址变成南万代小学扩建用地、公寓“Rise万代Tower”和疗养院等设施[32])
- 万代第三车库(2001年废除,与东部合并)
- 新潟西部营业所
- 东关屋车库(2003年废除,与西部合并)
- 内野营业所
- 赤冢车库(2005年3月废除)
- 明田车库(2005年9月废除)
- 山之下营业所(1992年废除,当时在新设东部营业所时合并至该处)
- 下山营业所(2012年3月15日废除,合并至北部和入船。在下山车库改组后,于2014年2月15日废除)
- 松滨营业所(在1985年,随着营业所老化,便临时迁移至丰荣市内,新潟竞马场的东边。在1989年,随着东港工业团地完工,便迁移至岛见町,并改名为新潟北部营业所)
- 新潟南部营业所
- 酒屋车库(2005年4月废除,合并至南部)
- 新潟东部营业所
- 万代车库(2014年3月15日废除,迁移至上所车库)
- 新潟交通观光巴士
- 新津营业所(1992年废除,与水原合并后,重组为京濑营业所[33])
- 水原业营所(1992年废除,与新津合并后,重组为京濑营业所[33])
- 京濑营业所
- 村杉车库(1999年2月废除,与京濑合并)
- 保田车库(2002年9月废除,与京濑合并)
- 三川营业所(2005年11月废除,与五泉、津川合并)
- 白根营业所(在1990年,随着营业所老化而迁至潟东村大原,并改名为潟东营业所)
- 潟东营业所
- 小须户车库(2002年11月废除,与潟东合并)
- 卷营业所(2002年9月废除,与潟东合并)
- 弥彦营业所(2013年3月31日关闭,与三条合并)
- 三条营业所(2013年12月15日废除,与潟东合并)
- 新饭田车库(2002年9月废除,与三条合并)
- 加茂营业所(2008年3月废除,与潟东合并)
- 下关营业所(2010年1月废除,与中条・村上合并。在2015年4月1日重开,并配置一些巴士)
- 中条营业所(2015年4月1日废除,与新发田合并)
- 五泉营业所(2021年9月30日废除,与京濑合并。从2015年4月1日起没有车辆隶属该处,只有售票处)
设备
バスロケーションシステム
新潟県内の线路バスのうち、バス停设置型の无线式バスロケーションシステムを导入しているのは西小针线と、市役所前・新潟駅前~下山~松浜~北部営业所・太郎代浜线(松浜线・太夫浜线)の2线路である。これはバス车内の案内放送と无线を介して连动し、表示と音声を用いてバスの接近を知らせる方式であった。
バス停设置型のバスロケは导入・维持管理ともコストが膨大である事が大きなネックとなり、この2线路以外への导入は进められなかったが、新潟交通グループは代替策として国土交通省などと共同でGPSとインターネットによるバスロケーションシステム“にいがたバス-i”の导入を2001年(平成13年)春から段阶的に进め[34][35]、旧新潟市域の49线路については2007年3月末に対応を完了した(このほか大野・白根线は急行バスのみ対応)。また前述2线路の旧システムについても导入から20年以上を経过し老朽化が进んでいたことから“バス-i”のシステムを使用した表示装置に顺次交换が进められ、さらに中央循环线、大野白根线のほか长潟线、市民病院线、女池线、大堀线、寺尾线など、乘客数が多い线路の主要バス停にも表示装置の设置が顺次进められた。
なお“にいがたバス-i”は2015年9月5日のBRT线路“万代桥ライン”开业と、それに伴う线路再编による“新バスシステム”の开业に伴い、前日の9月4日を以ってサービスを终了し、ロケーションシステムやインターネットでの时刻・运赁案内などは、新潟市と新潟交通がナビタイムジャパン社のシステムを使用して运用する“にいがた新バスシステム 时刻・运赁検索”サイトへ移行された[36]。高速バスでも県内线・県外线の全线において前述の“にいがたバス-i”のシステムを运用していた[37] が、サービスは顺次缩小され、県外线は2012年[38] に、県内线も2015年9月4日[39] をもって终了した。
乘降センサー
需要把握のための乘降センサーが约400台の全ての乘合バス车両に设置され、2004年に运用が开始された[40]。
乘车方法・运赁
カード | 导入年 | ポイント |
---|---|---|
りゅーと | 2011年4月24日 | 有 |
Suica | 2013年3月23日 | 无 |
モバイルSuica | 2013年3月23日 | 无 |
乘车方法は后乘り前降り后払い方式で、运赁は整理券方式の多区间制である。中央区中心部のうち新潟駅万代口・万代シテイ周辺には“ワンコイン区间”(大人100円)が、その外郭部には“市内均一区间”(大人210円)がそれぞれ设定されている。また、“ワンコイン区间”(大人100円)は、西区の新大入口-新大西门间・新大入口-清心学园前间及び中央区の青陵ライナー(白山駅前―新大病院―新潟青陵大学)にも设定されている。
新潟交通ではIC乘车カード“りゅーと(RYUTO)”のサービスを、2011年(平成23年)4月24日から市内の线路バスの一部を皮切りに开始し、その后サービスエリアの拡大を顺次进め、新潟市中心部を発着地とするほぼ全ての一般线路バスで利用できるようになった。なお2013年(平成25年)3月23日から、りゅーとのサービスエリアにおいてSuicaをはじめとする全国10种类の交通系ICカードが利用可能となっている。
なお新潟交通では磁気プリペイドカードのバスカードのサービスを行っていたが、2013年(平成25年)9月30日を以ってサービスを终了しており、现在は利用できない。
车両
此条目没有列出任何参考或来源。 (2018年6月) |
车両概说
新潟交通グループの一般线路用车両は、三菱ふそうトラック・バス、いすゞ自动车、UDトラックス(旧:日产ディーゼル工业)制の车両が中心であり、日野自动车制は小型车両“ポンチョ”など少数在籍するのみである(ただし、日野・セレガとの统合モデル车种である2代目ガーラの配置はある)。これは前掲3社が新潟交通の株式を保有しているのに対し、日野自动车のみ株式を保有していないことが影响しているといわれる。このように大手の大型车両メーカーが新潟交通の株式を保有している関系からか、他の地方バス事业者と比较すると新车の导入率が高い。かつて大型线路车は长尺车を多く导入していたが、1990年代后半以降は标准尺・短尺车も导入されるようになった。
现在では新潟市中心部の线路车については、新车を积极的に投入するようになっているものの、かつては设备の近代化の面においては立ち遅れた面が多く、线路车の冷房化が本格的に进められたのは1984年、新潟駅前 - 西小针 - 内野・新潟大学线(西小针线)に、県内で初めて都市新バスシステムが导入されたのがきっかけだった。バスロケーションシステム対応の冷房付き新型车両には当时“银太郎”の爱称が付与されていた[41]。地域子会社を含む车両の完全冷房化は1990年代后半に入ってからのことだった。
车両配置
新车の大型线路车(一般线路车・高速车とも)は、まず新潟交通本体の各営业所へ配属され、导入から约10年を経过すると、子会社の新潟交通観光バスや新潟交通佐渡の各営业所へ転属されるパターンが多い。こうしたことから、新潟市の旧市域を运行する线路には高年式の车両が、编入市域や下越・佐渡など子会社が运行する线路には、新潟交通本体から転属した车両が运行に充当されている。また1990年代后半には、首都圏の排気ガス规制の影响で使用できなくなった车両を関东の事业者などから受け入れ、これらは新潟交通とグループ各社に配备された。だが、この受け入れが一段落してからは譲渡车両はほとんど无く、新潟交通は新车を、グループ各社は新潟交通からの転属车両を充当するケースが多くなっていたが、近年は関东地方などからの事业者から购入した中古车が再び导入されている(供给元については“#移籍车の供给元”参照)。
小型车
2010年11月の小型车両の日野・ポンチョが导入され、その后も2017年に新たに3台が导入されるなどしている。2018年4月现在、主に临港线(E1系统)や西堀线(C5系统)、青山循环线、青陵ライナー、みなと循环线などで运行されている[注釈 1]。
特徴的な车両
Template:BusModelImage2 特徴的な车両としては、1980年代から2000年代の四半世纪にわたって运用されていたいすゞ・キュービック(P-LV314Q)に北村制作所制の车体を架装した车両が挙げられる(写真)。この车両は北村制作所の大型バス用车体としては初にして唯一のスケルトンボディであり、新潟交通には1985年から1988年にかけて合计100台が导入された。この车体は新潟交通以外の事业者では颈城自动车にP-LT312Jが线路バス用に1台、日本赤十字社新潟県支部に献血车用として数台が纳入されたのみで、纳车先はほとんどが新潟県内であった。その外観からバスファンからは“なまず”という爱称でも呼ばれ、当时は新潟交通のシンボルとも言うべき存在でもあった。しかし、车体の老朽化が著しくなった2000年代前半以降は旧市域の営业所から全て除籍され、新潟交通観光バスの各営业所へ移籍したり廃车されるなどして次第に淘汰され、新潟交通観光バスの潟东営业所所属の最后の1台(车番:G904-I)も2011年4月末を最后に定期运用から离脱し、同年秋にかけて贷切ツアーやイベント等で运行された后、同年12月の车検満了をもって全廃された。
なお最后の1台は“新潟生まれ・新潟育ち”という车両そのものの希少性が评価され、また长年の労苦を労うため、新潟市は新潟交通から车両の譲渡を受けて静态保存することになり、同市中央区の鸟屋野交通公园内で2012年7月21日から一般公开を开始した[42][43]。その后のいすゞ制大型线路车は1989年のみ富士重工业制车体で导入され、1990年以降はすべて纯正车体(アイ・ケイ・コーチ→いすゞバス制造→现:ジェイ・バス)で导入されている。
これ以外にも、都市新バスシステムの整备に合わせて导入された车両の一部(1983年に14台导入された三菱ふそうK-MP118N・1984年に21台导入されたP-MP118N)は“ひらめ”との通称があるエアロスター试作型车体(呉羽自动车工业制)を架装しており、やはり他の地区ではなかなか见られない车体であった[注釈 2]。
この“なまず”と“ひらめ”を中心とした、都市新バスシステムに対応した冷房付きの一般线路车両には、一般公募により“银太郎”という爱称が付けられていた。
座席横の荷物棚
1981年から2000年中顷までの间に导入された车両の车内には、座席の横に幅15cm程度の荷物棚が设置されている。これは乘客からの要望により设置されたもので、新潟交通以外の事业者では导入例が少ない。しかし2人挂け座席の个所では通路幅が狭くなるため、交通バリアフリー法で规定されている通路幅の制限に抵触することや、立ち席数を确保する必要性などから、その后の导入车両には设置されていない。
カラーリング
线路バス
线路バスは、浓银色のボディに青色のラインが入り、ルーフを赤色に涂装したカラーリングを使用しており、通称“银バス”と呼ばれる。
银バスの涂装は、新潟交通の前身の一つである新潟合同自动车が発足した1932年顷から使用されているもので、かつてはボディ全体が银色であった。现在の赤屋根が采用されたのは1990年からである。これは日本海に沈む夕日をイメージしたもので、且つ新潟市で1922年に初めて本格的に运行を开始し、通称“赤バス”と呼ばれた当时の线路バスの车体にも因んだものである。この他、车体全面に広告を施したラッピングバスが各営业所に配属されている。
また、ノンステップバスは导入时期や线路などによって3つの涂色がある。1999年秋、市内线の昭和大桥线(1系统)に初めて导入された车両は、オレンジ色を基调に黄・白のアーチラインが施されている。[注釈 3] ノンステップバスはその后しばらく新规投入されなかったが、2007年、新潟市がオムニバスタウンに指定されたのに伴って同年秋から新型车両が大量に投入された。同年投入のノンステップ车の涂色には上记の“银バス”涂装(车体后部に新潟市のシンボルマークと“オムニバスタウンにいがた”のロゴが入る)の他、オレンジ色を基调としたグラデーションに白鸟が飞び行く姿を模した“にいがた基干バス”(中央循环线・市民病院线)専用涂装の2种类がある。
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当初の“银バス”涂装。屋根上は赤く涂られていない(1986年)
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现在采用されている“银バス”涂装の一般线路车(2012年8月、新潟市中央区东大通)
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ノンステップバスの第1期导入车両(2005年・新潟駅万代口)
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ノンステップバス・りゅーとリンク车両(2010年10月、新潟駅万代口)
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报道ステーションのラッピング车両(2011年10月)
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ツインくる(连节バス)车両(2017年3月、古町バス停留所)
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市内线路车
高速バス・観光バス
高速バスや贷切などに使用される観光用车両は、白色のボディに绿色と胭脂色の“N”字を模したラインが入る。
カラーリングの白は“雪”、绿は“越后平野”を表しており、また胭脂色は観光・高速用车両の旧涂装(白地にグレーの横ピンストライプの地色に、胭脂色と绀色のラインを配したもの)をオマージュしたものである[44]。この涂装は1978年の北陆自动车道の県内区间(新潟黒埼IC - 长冈IC间)开通以降、県内の高速道路延伸などを视野に1980年に采用されて以来、现在に至るまで使用されている。
また、県外高速バス线车両(県内向け车両を用いる会津若松线を除く)とサロン等を装备した観光バス特别车両のみに、ボディ横に赤のラインと金文字“Niigata Kotsu”のロゴタイプが入る(2006年时点、観光バス特别车両は存在せず)。
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県外高速バス涂色(新潟~郡山线)
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県内高速バス涂色(新潟~东三条线)
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県内高速バス涂色(ときライナー长冈线)
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県外线路(高速)车
车号
新潟交通グループの车両には、1台ごとに“车号”と呼ばれる番号が付与されている。车号は“アルファベット1文字 - 1桁から4桁の数字 - アルファベット1文字”で构成されており、ナンバープレート(登录番号)と车両のメーカーを表したものである。
- 最初のアルファベットは、ナンバープレートの运输支局名・分类番号・ひらがなを表す。
- A:“新潟22 あ”
- F:“新潟200 あ”
- G:“新潟22 か”
- H:“新潟200 か”
※A・Fは中判プレート、G・Hは大判プレート。
- 数字はナンバープレートの一连指定番号を表す。
- 最后のアルファベットはメーカーを表す。
- I:いすゞ自动车
- M:三菱ふそうトラック・バス
- N:UDトラックス(旧:日产ディーゼル)
- H:日野自动车(小型车のみ在籍)
例えば、いすゞ制の车両で、ナンバーが“新潟200 か 12-34”の场合、车号は“H1234-I”となる。ただし観光・高速车の车体および、H100-M(新潟200 か ・100)以降の车両には、车号を记载していない。
なお、BRT线路“万代桥ライン”で运用されるスカニア・ボルグレン制连节バス(爱称“ツインくる”)4台は前掲の车号ではなく、ナンバープレートの登录番号(新潟200 い 1、200 あ 2・3、230 あ 4)に准じた“001”から“004”までの固有番号が付与されている。
移籍车の供给元
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スポーツ活动
グループ企业
特记以外は连结子会社(9社)。
- 运输事业
- 商品贩売事业
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- 新潟交通商事
- 観光土产品の企画・卸、事务机器の贩売、店舗设计など
- 新潟マルオカ
- 新潟交通商事
- 旅行事业
- 旅馆事业
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- シルバーホテル
- 万代シテイ内“万代シルバーホテル”の运営など
- 国际佐渡観光ホテル
- 佐渡市佐和田地区の観光ホテル“八幡馆”の运営など
- シルバーホテル
- その他事业
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- 新潟航空サービス
- 新潟空港の関连业务など
- 新潟交友事业
- 清扫・廃弃物収集・施设管理など
- 新交企画
- 広告代理业(グループ各社の车体・车内広告の贩売・管理、県内民放向けCMの制作など)
- 新潟航空サービス
- その他の関连企业
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- ヤマトオートワークス北信越
- 2006年10月27日设立。これまで新潟交通が自社内で行ってきた车両整备を受托している。出资比率はヤマトホールディングス伞下のヤマトオートワークスが95%、新潟交通が5%。本社はヤマト运输北信越支社・新潟主管支店内、车両の整备拠点は新潟北部営业所と新潟西部営业所の2个所に置かれている。
- ヤマトオートワークス北信越
过去のグループ企业
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- 新潟交通兴业
- 1959年创业。不动产事业などを手挂けていた他、本社株のうち约7%にあたる约269万株を保有する笔头株主でもあった。しかし、不动产部门は新潟交通兴业の他、新潟交通と万代开発も手挂けている事业であり、特に万代シテイでは所有者・管理者の権限错综が大きな问题となっていたことから2004年秋、新潟交通の不动产部门の一部と新潟交通兴业の不动产部门全てを万代开発へ吸収分割し、万代シテイの运営体制を一本化。新潟交通兴业は生命保険代理业などの残る全业务をグループ各社に継承して同年9月9日に解散し、特别清算手続きの上、保有していた新潟交通株は新潟交通が自己株式として取得した。
- 新交ストアー
- 1969年设立[46]。管内各所でスーパーマーケット“新交ストアー”(のちの“シンコーストア”)を运営し、最大で12店舗があった[46]。1987年にはコンビニエンスストア“シコス”とファストフード“ピーコック”の复合小型店“シンコーミニショップ”も出店[47]。1990年代中盘には高级食材を中心とした品揃えに切り替え、店舗名を“セサミ”に改称して差别化を図り[48]、1995年には私铁系スーパーの八社会と业务提携を行いプライベートブランド“Vマーク商品”などの供给を受けた[49]。だが経営悪化に伴い、合理化の一环で3店舗(寺尾店、鸟原店、佐和田店)を残して顺次廃业。残った3店をサトウ食品の関连企业で食品スーパー运営の“パワーズフジミ”に譲渡し[46]、2005年11月30日に解散した。
- 経営譲渡后、パワーズフジミはセサミ3店舗については社内に别途事业部を设け、八社会にも継続参加。2006年にはパワーズ1店舗(笹口店)をセサミに転换した。业绩は比较的好调だったものの、竞争激化により収益の改善が见込めなくなったことから、佐藤食品は2007年12月“本业専念”を理由に所有株式を宫城県で食品スーパーを运営する“モリヤ”に譲渡し、スーパー事业から撤退した。モリヤはパワーズ及びセサミの全15店舗を継承したが、业态统一化によって2008年8月までに全店舗が“パワーズフジミ”に転换されて“セサミ”のブランドは消灭した。その后モリヤがCGCグループに加盟していることなどから、パワーズフジミは事业譲渡后の2009年2月末をもって八社会を退会し、CGCのプライベートブランド商品の取扱いを顺次开始した。
- なおモリヤは2010年7月30日、民事再生法の适用を申请して経営再建が开始され、このうちパワーズフジミは経営再建开始当初、新潟交通から譲渡された寺尾台店、佐渡店(いずれも佐藤食品への経営譲渡后に改称)、鸟原店の计3店舗を含む全15店舗で営业を継続してきたが、モリヤの経営破绽の余波を受けて资金缲りが悪化し、2013年5月10日付で破产手続きを申请して全事业を停止した。その后、同年6月14日にイオングループのマックスバリュ东北が7店舗の事业を継承したのをはじめ、保有资产は県内外のスーパー各社等へ売却されるなど整理が进められた。このうち旧新潟交通所有の寺尾台店、佐渡店の2店舗施设は破产直前に、CGCグループ加盟で见附市を本拠とする同业のマルイへ譲渡され、佐渡店は同年5月29日、寺尾台店は同年6月27日にオープンした。なお鸟原店は売却先が付かず、店舗施设は竞売物件となっている。
- 浦浜农园
- 1972年创业。チューリップなど花卉の栽培事业や万代シテイバスセンター内の売店、立ち食いそば・うどん店の営业などを手挂けていたが、花卉栽培部门の需要低下に伴い、2009年をもって解散。园芸部门からは撤退し、商事部门は新潟交通商事など他の子会社に継承された。
- 月冈馆ホテル
- スウィートファクトリージャパン
- イギリスのキャンディショップ“Sweet-Factory”の日本代理店として、全国で直営・FC合计でTemplate:いつ范囲を展开するなど、菓子类及び雑货の小売・卸売贩売を行う企业。1995年12月に万代シテイに1号店开设[50]。2010年2月28日をもって、マネジメント・バイアウトによって新潟交通グループから离脱した。なお県内では、バスセンタービル2阶に“万代店”を出店している。
- マンパワー
- 人材派遣业。2012年2月29日付で全株式を売却したため连结から外れた(详细は非开示)。
- 万代开発
- セブレ新潟
- 商品贩売など。2016年9月16日付で清算。
- 新潟フェイズ
- カッシーナ・インターデコール新潟
- 家具・室内装饰品の输入、贩売を行っていたが、2000年8月に解散[56]。
- 新潟不二フード
- キリン万代桥ホール
- イー・ティー・アール
脚注
注釈
出典
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