使用者:五十口徑三年式十二糎七砲/竹號驅逐艦 (1944)
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竹 | |
---|---|
概觀 | |
艦種 | 驅逐艦 |
擁有國 | 日本帝國 |
艦級 | 松型駆逐艦 |
製造廠 | 橫須賀海軍工廠 |
動工 | 1943年10月15日 |
下水 | 1944年3月28日 |
服役 | 1944年6月16日 |
結局 | 1945年12月1日指定為特別輸送艦 作為賠償艦引渡給英國後解體 |
除籍 | 1945年10月25日 |
技術數據 | |
全長 | 100.00m |
全寬 | 9.35m |
吃水 | 3.30m |
燃料 | 重油370噸 |
鍋爐 | 呂號艦本式鍋爐2座 |
動力 | 艦本式渦輪2座2軸 19,000hp |
最高速度 | 27.8kt |
續航距離 | 維持18kt下3,500浬 |
乘員 | 211名/248名[1](後日、323名)[2] |
武器裝備 | 40口徑12.7cm単裝高角砲 1座 40口徑12.7cm連裝高角砲 1座 25mm連裝機銃 4座 25mm単裝機銃 12基 61cm4連裝九二式魚雷発射管 1座4門(無備用魚雷) 九四式暴雷投射機 2座、暴雷投軌×2、(二式爆雷 36発) |
概述
一等驅逐艦竹是[4] ,日本海軍是在第二次世界大戰中由橫須賀海軍造船廠建造的驅逐艦[5] 。竹是松級驅逐艦(丁級驅逐艦)的二號艦,是量產的戰時級驅逐艦[6] ,也是繼樅級驅逐艦 「竹」後第二艘使用「竹」作為艦名的建船[7] 。由於是戰時量產型,松型驅逐艦也被蔑稱為「雜木林」 [8] [9] ,雖然性能(如速度和火力)受到限制,與日本海軍常規的驅逐艦相比其生存能力(損傷容限)卻被大大提高 。
在1944年(昭和19年) 6月16日竣工後[10],「竹」在作為訓練部隊的第11魚雷中隊進行訓練與前往[11]南西諸島[12] 的運輸任務。 同年7月15日,「竹」被編入新編的第四十三驅逐隊[13] 。自8月以來,「竹」在台灣,馬尼拉和帕勞群島區域進行了運輸或船團護衛等任務[5] 在8月20日,「竹」被轉移到新編的第三十一戰隊[14]在同月中旬,「竹」從事了輕巡「名取」號以及驅逐艦「五月雨」號的救援任務。
從10月下旬「竹」開始進行萊特島增援運輸作戰(多號作戰) [15] ,並在其中參加了第三次/第四次,第五次和第七次作戰[16] 。 「竹」號雖多次受到損傷但倖存了下來。[17]於12月3日在奧爾莫克灣進行的夜間戰鬥中,「竹」和姐妹艦「桑」與三艘美軍驅逐艦交戰[18],「竹」用魚雷擊沉了「庫珀」號驅逐艦[19] (第七次多號作戰) [20] 。返回本土後,「竹」在瀨戶內海殘存[21],並在戰後被作為遣返運輸船使用[22]。
戰歷
至萊特島戰役之前
暫定名稱為5482號艦,「竹」在橫須賀海軍武器工廠被建造, [4] 並於1943年10月15日開始施工[23] 。 在1944年1月25日(昭和19年),被命名為「竹「[3] 。在同一日期被列為松級驅逐艦(一等驅逐艦) [24] ,於3月28日下水 [23] 。船籍登陸於橫須鎮守府[25] 。 在4月15日,田中廣國少將(第60海軍陸戰隊) [26]被任命擔任「竹」的艦裝整備長[27] 。 在4月20日,在橫須賀海軍工廠設立了「竹」的艦裝整備辦事處,並開始了了工作[28] 5月6日,可兒祥男上尉(當時戰列艦「山城」上的分隊長)被任命為「竹」的艦裝整備員[29]在吹雪型驅逐艦「天霧」號沉沒後[a],「天霧」上的水雷長志賀博大尉在5月16日回到橫須賀鎮守府[31]後在5月20日被分配為「竹」的艦裝整備員[32] 。當時的兩艘送型(「松」,「竹」)正於橫須賀海軍造船廠的浮台進行裝工作,元「天霧」號的艦長的吉永源少佐於「松」號,元「天霧」號的水雷長志賀則於「竹」上任 [33] 。在「松」出擊之後,該浮橋則被用於停放鬆型驅逐艦三號艦的「桐」整備號[33]。
在6月16日,「竹」號竣工[23],艦裝設備辦事處於同一天被撤去[34]。田中少佐正式成為了「竹」的艦長[35]。「竹」的初代幹部為航海長高井義助中尉,炮術長可兒祥男大尉,水雷長志賀博大尉(大副),輪機長櫻井達也中尉,事務長小林義治少尉,軍醫長湯川真治(Shinji Yukawa)等。 [36] 。
竣工後的「竹」被編入第十一水雷戰隊[37](指揮官為海軍兵學校第四十一期的高間完少校,着任於當時的旗艦「長良」號上 [38] 。在當年6月沒有從橫須賀移動[39]。 在7月初,「竹」從橫須賀被轉移至瀨戶內海,並與秋月級驅逐艦「伏月」號,夕雲級驅逐艦「清霜」號與松級的姐妹艦進行了訓練[40]。在7月中旬,「竹」於門司裝載物資,並參加了往南大東島[41](詳細內容會後述)的運輸作戰。在 7月15日,秋月驅逐艦2艘(霜月,冬月)被編入了第41驅逐隊,松級的四艘驅逐艦(梅,竹,松,桃)分別被則被編入了43驅逐隊(驅逐隊司令為菅間良吉中佐) [42][13] [43] 。
7月8日,大本營海軍部通過海軍部指令第421號,發動了聯合艦隊對南西諸島陸軍的輸送任務[44] 。這被稱為「 呂號運輸」(呂號運輸作戰) [45]。運輸部隊指揮官為當時第十一水雷戰隊的指揮官[46]。 在7月16日,輕巡「長良」號(第十一水雷戰隊旗艦),重巡「摩耶」號,練巡「鹿島」號[47]與5艘驅逐艦[b]從中津[49] 拔錨。 [50] [51] 。運輸部隊被分別編為第一運輸隊(長良,鹿島,冬月,清霜,竹),第二運輸隊(摩耶,朝雲,浦風) [52]和來往於沖繩與大東島間的第三運輸隊(冬月,清霜, 竹) [53]。
7月17日,呂號作戰部隊抵達沖繩的中城灣[54] [55]。前往宮古島的第二運輸隊[53] ,則不往返本土[51]而是通過馬尼拉直奔林加泊地。 「冬月」的驅逐艦長所指揮的第三運輸隊則前往南大東島進行緊急運輸任務[53] [56]。 在此之後除了第二運輸隊的艦船因完成了運輸任務在19日午前一點從中城灣出港[53],並在20日- 21日歸還至吳 。 [57]完成任務後,呂號行動的運輸部隊被解散[58]。
8月1日,聯合艦隊將第五艦隊(第二十一戰隊,第一水雷戰隊)和第十一水雷戰隊等編入了第二游擊部隊(指揮官為第五艦隊司令長官志摩清英中將),並納入了機動部隊。 [59]已經完成向沖繩運輸任務的「竹」和夕雲級驅逐艦「清霜」則被下令擔任前往帕勞方面的進擊運輸任務[60]。 8月10日,兩艘驅逐艦(清霜,竹)從柱島泊地出發[61],經馬公市前往到菲律賓[62],於8月16日到達馬尼拉[63] 。從8月17日起,「松」由「清霜」號指揮,向帕勞進行運輸行動,並遣返將遣返者送回宿霧[64]。18日大約凌晨3點,帕勞地區進行運輸作戰中的「名取」號[65] 在棉蘭老島達沃市東北面[66] ,被美軍潛水艇「硬頭魚」號(USS Hardhead, SS-365)雷擊大破,在撤退時沉沒[67]。包括「竹」在內的五艘船(清霜,竹[68] ,鬼怒,時雨,浦波)被令前去救援「名取」 。 但名取搜索隊並未找到遇難者並返回宿霧。 「清霜」號則前往帕勞[62],「竹」號 在西南方面艦隊的指揮下進行船團護送任務[69] 。
此後,「竹」號從事於他艦的救援任務,被派往救援在帕勞群島北部卡揚埃爾環環礁觸礁擱淺的白露型驅逐艦「五月雨」號 [c] 。於8月26日晚到達卡揚埃爾環礁的「竹」,並收容了來自「 五月雨」的倖存者。 [74]大熊安之助少佐(「五月雨」的艦長)和田中少佐(「竹」的艦戰)為海軍兵學校的同窗,大熊在田中的說服下轉乘到「竹」上 [75]。
在8月20日的運輸行動中,日本海軍將第三水雷戰隊剩下來的艦艇與松級驅逐艦作為中心,[14]新編成了第三十一戰隊(司令官為江戶兵太郎少將[76] ,海軍兵學校40期)[77] 。第43驅逐艦也被一起併入第三十一戰隊[78] 。「竹」為了補給燃料和將從「五月雨」上救出的乘員卸下而暫停與宿霧島,之後前往帕勞[79]。
多號作戰
第三次·第五次多號作戰
第七次多號作戰
戰後
腳註
- 艦裝整備長
- 艦長
註腳
注釋
出典
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- ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127500, 37頁、#S1804呉防戦(7) p.27〔 一六(天候略)引續キ各隊対潛警戒及掃蕩実施「ロ」號作戰輸送部隊出撃 〕
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- ^ 引用錯誤:沒有為名為
S190825護衛対潜
的參考文獻提供內容 - ^ 五月雨出撃す 2010,第303a-311頁座礁、総員退去
- ^ 秋月型(潮書房) 2015,第266-267頁.
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參考文獻
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|month=
(建議使用|date=
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|month=
(建議使用|date=
) (幫助) - 木俁滋郎『敵潛水艦攻撃』朝日ソノラマ、1989年、ISBN 4-257-17218-5
- 木俁滋郎. 日本海防艦戦史. 図書出版社. 1994-09. ISBN 4-8099-0192-0. 已忽略文本「和書」 (幫助)
- 木俁滋郎. 第8章 護送駆逐艦の登場. 駆逐艦入門 水雷戦の花形徹底研究. 光人社NF文庫. 光人社. 2006-07. ISBN 4-7698-2217-0. 已忽略文本「和書」 (幫助)
- 木俁滋郎. 7.陸軍潜水艦二号. 撃沈戦記 海原に果てた日本艦船25隻の航跡. 光人社NF文庫. 光人社. 2013-06. ISBN 978-4-7698-2786-3. 已忽略文本「和書」 (幫助)
- 木俁滋郎. 15 アメリカ駆逐艦「クーパー」. 連合軍艦艇撃沈す 日本海軍が沈めた艦船21隻の航跡. 光人社NF文庫. 光人社. 2013-08. ISBN 978-4-7698-2794-8. 已忽略文本「和書」 (幫助)
- 駒宮真七郎『続・船舶砲兵 救いなき戦時輸送船の悲録』出版協同社、1981年
- 駒宮真七郎『戦時輸送船団史』出版協同社、1987年、ISBN 4-87970-047-9
- 佐藤和正. 艦長たちの太平洋戦争 続篇 17人の艦長が語った勝者の条件. 光人社NF文庫. 光人社. 1995. ISBN 4-7698-2106-9. 已忽略文本「和書」 (幫助); 已忽略未知參數
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- 「幸運と不運」<駆逐艦「竹」艦長・宇那木勁少佐の証言>(太平洋戦爭時、磯波水雷長、海軍兵學校教官、椿艤裝員長、竹艦長等)
- 「縁の下の役割」<駆逐艦「春風」艦長・森本義久中佐の証言>
- 珊瑚會編『ああ復員船 引揚げの哀歓と掃海の秘録』騒人社、1991年
- 駆逐艦「天霧」先任將校志賀博. 海軍兵科将校. 光人社. 1985. ISBN 4-7698-0264-1. 已忽略文本「和書」 (幫助); 已忽略未知參數
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) (幫助) - 特別輸送艦艦長志賀博. 最後のネービーブルー 回想の復員輸送艦秘話. 光人社. 1989-09. ISBN 4-7698-0472-5. 已忽略文本「和書」 (幫助)
志賀(舊姓保坂)は「天霧」水雷長を経て、「竹」竣工から除籍まで竹水雷長。 - 志賀博ほか. 駆逐艦物語 車引きを自称した駆逐艦乗りたちの心意気. 潮書房光人社. 2016. ISBN 978-4-7698-1615-7. 已忽略文本「和書」 (幫助); 已忽略未知參數
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- 元三十五突撃隊・海軍二等兵曹正岡勝直『されど"雑木林艦隊"恥ずることなかれ 雑木林といわれた松型十八隻、橘型十四隻、樅型三隻、若竹型六隻の闘魂』
- 志柿謙吉. 海軍参謀のフィリピン戦記 回想レイテ作戦. 光人社NF文庫. ISBN 4-7698-2462-9. 已忽略文本「和書」 (幫助); 已忽略未知參數
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(幫助) - 重本俊一ほか. 陽炎型駆逐艦 水雷戦隊の中核となった精鋭たちの実力と奮戦. 潮書房光人社. 2014-10. ISBN 978-4-7698-1577-8. 已忽略文本「和書」 (幫助)
- 戦史研究家伊達久『日本海軍駆逐艦戦歴一覧 太平洋戦爭時、全一七八隻の航跡と最後』
- 菅野昭(原文); 嶋田潤(編). 最後の戦没艦・第13号海防艦戦記 ~終戦前日、香住漁船団の懸命な救出~ 菅野元水兵長の手記から. ブイツーソリューション. 2014-02. ISBN 978-4-86476-177-2. 已忽略文本「和書」 (幫助);
- 須藤幸助. 駆逐艦五月雨. 朝日ソノラマ. 1988. ISBN 4-257-17097-2. 已忽略文本「和書」 (幫助); 已忽略未知參數
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) (幫助) - 須藤幸助. 駆逐艦「五月雨」出撃す ソロモン海の火柱. 光人社NF文庫. 光人社. 2010-01. ISBN 978-4-7698-2630-9. 已忽略文本「和書」 (幫助)
- 田村俊夫「「竹」の兵裝増備狀況」『歴史群像 太平洋戦史シリーズ43 松型駆逐艦』學習研究社
- 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。ISBN 4-7698-1246-9
- C・W・ニミッツ、E・B・ポッター/実松譲、冨永謙吾(共訳)『ニミッツの太平洋海戦史』恆文社、1992年、ISBN 4-7704-0757-2
- 日向會事務局. 航空戦艦の活躍 軍艦日向栄光の追憶. 日向會事務局. 1977. 已忽略文本「和書」 (幫助); 已忽略未知參數
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) (幫助) - 福井靜夫. 阿部安雄・戸高一成/編集委員 , 編. 福井静夫著作集 軍艦七十五年回想記 日本駆逐艦物語 第5巻. 光人社. 1993-01. ISBN 4-7698-0611-6. 已忽略文本「和書」 (幫助)
- 防衛庁防衛研修所戦史室. 戦史叢書 沖縄方面海軍作戦 第17巻. 朝雲新聞社. 1968. 已忽略文本「和書」 (幫助); 已忽略未知參數
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) (幫助) - 防衛庁防衛研修所戦史室. 戦史叢書 海軍捷号作戦<1> 臺灣沖航空戦まで 第37巻. 朝雲新聞社. 1970. 已忽略文本「和書」 (幫助); 已忽略未知參數
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) (幫助) - 防衛庁防衛研修所戦史室. 戦史叢書 捷号陸軍作戦(1) レイテ決戦 第41巻. 朝雲新聞社. 1970. 已忽略文本「和書」 (幫助); 已忽略未知參數
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) (幫助) - 防衛庁防衛研修所戦史室. 戦史叢書 大本營海軍部・聯合艦隊<6> ―第三段作戦後期― 第45巻. 朝雲新聞社. 1971. 已忽略文本「和書」 (幫助); 已忽略未知參數
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) (幫助) - 防衛庁防衛研修所戦史室. 戦史叢書 南西方面海軍作戦 第二段作戦以降 第54巻. 朝雲新聞社. 1972. 已忽略文本「和書」 (幫助); 已忽略未知參數
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) (幫助) - 防衛庁防衛研修所戦史室. 戦史叢書 海軍捷号作戦<2> フィリピン沖海戦 第56巻. 朝雲新聞社. 1972. 已忽略文本「和書」 (幫助); 已忽略未知參數
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) (幫助) - 防衛庁防衛研修所戦史室. 戦史叢書 海軍戦備<2> ― 開戦以後 ― 第88巻. 朝雲新聞社. 1975. 已忽略文本「和書」 (幫助); 已忽略未知參數
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) (幫助) - 防衛庁防衛研修所戦史室. 戦史叢書 大本營海軍部・聯合艦隊<7> ―戦争最終期― 第93巻. 朝雲新聞社. 1976. 已忽略文本「和書」 (幫助); 已忽略未知參數
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) (幫助) - 防衛庁防衛研修所戦史室. 戦史叢書 潜水艦史 第98巻. 朝雲新聞社. 1979. 已忽略文本「和書」 (幫助); 已忽略未知參數
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) (幫助) - 松田源吾ほか. 軽巡海戦史 駆逐艦を率いて突撃した戦隊旗艦の奮戦と最後. 潮書房光人社. 2017-3. ISBN 978-4-7698-1639-3. 已忽略文本「和書」 (幫助);
- 當時「鬼怒」航海長・海軍大尉飯村忠彥『十六戦隊「鬼怒」オルモック輸送に潰ゆ レイテ海戦の舞台裏で兵器人員輸送に苦闘した航海長の血涙の手記』
- 松永市郎. 輸送艦かく戦えり. 三号輸送艦帰投せず 『先任将校』後日物語. 光人社. 1986. ISBN 4-7698-0325-7. 已忽略文本「和書」 (幫助); 已忽略未知參數
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) (幫助) - 雑誌『丸』編集部/編 (編). ハンディ判日本海軍艦艇写真集18 駆逐艦秋月型・松型・橘型・睦月型・神風型・峯風型. 光人社. 1997-11. ISBN 4-7698-0819-4. 已忽略文本「和書」 (幫助)
- 「丸」編集部編. 小艦艇戦記 海防艦「占守」電探室異状なし. 光人社NF文庫. 株式會社潮書房光人社. 2012. ISBN 978-4-7698-2756-6. 已忽略文本「和書」 (幫助); 已忽略未知參數
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- (15-72頁)海防艦「占守」電探室異狀なし"學徒兵かく戦へり"電探員が見た船団護衛始末記―北村栄作
- 茂呂計造(竹水雷科、連管手). 南海の死闘 少年水兵の海戦記. 近代文藝社. 1994-09. ISBN 4-7733-3262-X. 已忽略文本「和書」 (幫助)
- 山本平彌ほか. 秋月型駆逐艦<付・夕雲型・島風・丁型> 戦時に竣工した最新鋭駆逐艦の実力と全貌. 潮書房光人社. 2015. ISBN 978-4-7698-1584-6. 已忽略文本「和書」 (幫助); 已忽略未知參數
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- 戦史研究家伊達久『夕雲型駆逐艦十九隻&島風の太平洋戦爭』
- 當時艦政本部部員・海軍技術中佐遠山光一『マスプロ防空駆逐艦"松型"の誕生と背景 駆逐艦発達史の中に位置づけた丁型=松型十八隻と橘型十四隻の新機軸』
- 戦史研究家伊達久『丁型駆逐艦船団護衛ダイアリィ 松型十八隻と橘型十四隻の太平洋戦爭』
- 元「柳」艦長・海軍少佐大熊安之助『松型「柳」艦長三たび痛恨の海に沒したけれど 乗艦三隻の最期をみとった駆逐艦長が綴る海の勇者たちへの鎮魂歌』
- 當時「桑」一番高角砲射手・海軍上等兵曹山本貢『小さな勇者「桑」オルモックに死すとも 瑞鳳直衛の比島沖海戦をへて七次多號作戦に果敢な砲戦を演じた勇者の最後』
- 渡辺洋二『夜間戦闘機「月光」』朝日ソノラマ新裝版戦記文庫、1993年、ISBN 4-257-17278-9
- アジア歴史資料センター(公式)
- 昭和19年1月〜6月達/1月(2). Ref.C12070124100. 已忽略文本「和書」 (幫助)
- 自昭和19年1月 至昭和19年7月内令/昭和19年1月(5). Ref.C12070194200. 已忽略文本「和書」 (幫助)
- 自昭和19年1月至昭和19年7月内令/昭和19年7月. Ref.C12070195500. 已忽略文本「和書」 (幫助)
- 昭和19年8月〜9月 秘海軍公報/9月(1). Ref.C12070496600. 已忽略文本「和書」 (幫助)
- 昭和19年9月〜12月 秘海軍公報 号外/10月(1). Ref.C12070497300. 已忽略文本「和書」 (幫助)
- 昭和19年9月〜12月 秘海軍公報 号外/10月(2). Ref.C12070497400. 已忽略文本「和書」 (幫助)
- 昭和19年9月〜12月 秘海軍公報号外/11月(3). Ref.C12070497900. 已忽略文本「和書」 (幫助)
- 昭和19年9月〜12月 秘海軍公報 号外/11月(4). Ref.C12070498000. 已忽略文本「和書」 (幫助)
- 自昭和20年1月.至昭和20年8月秘海軍公報/1月(3). Ref.C12070503700. 已忽略文本「和書」 (幫助)
- 自昭和20年1月.至昭和20年8月秘海軍公報/2月(2). Ref.C12070503900. 已忽略文本「和書」 (幫助)
- 昭和20年1月.至昭和20年8月秘海軍公報号外/3月(2). Ref.C12070504300. 已忽略文本「和書」 (幫助)
- 自昭和19年1月 至昭和19年7月内令/昭和19年7月. Ref.C12070195500. 已忽略文本「和書」 (幫助)
- 昭和20年1月2日 昭和20年8月30日秘海軍公報/昭和20年8月(2). Ref.C12070530000. 已忽略文本「和書」 (幫助)
- 昭和18年12月1日〜昭和20年4月6日 呉防備戦隊戦時日誌戦闘詳報(7). Ref.C08030369900. 已忽略文本「和書」 (幫助)
- 昭和19年4月1日〜昭和20年2月28日 呉鎮守府戦時日誌(4). Ref.C08030329600. 已忽略文本「和書」 (幫助)
- 昭和19年7月1日〜昭和19年11月15日 第10戦隊戦時日誌(1). Ref.C08030050800. 已忽略文本「和書」 (幫助)
- 昭和19年7月1日〜昭和19年11月15日 第10戦隊戦時日誌(2). Ref.C08030050900. 已忽略文本「和書」 (幫助)
- 昭和19年7月1日〜昭和19年11月15日 第16戦隊戦時日誌(1). Ref.C08030057100. 已忽略文本「和書」 (幫助)
- 昭和19年7月1日〜昭和19年11月15日 第16戦隊戦時日誌(2). Ref.C08030057200. 已忽略文本「和書」 (幫助)
- 昭和18年12月1日〜昭和20年5月31日 呉練習戦隊戦時日誌(2). Ref.C08030078900. 已忽略文本「和書」 (幫助)
- 昭和19年4月1日~昭和19年8月31日 第1水雷戦隊戦時日誌(5). Ref.C08030086800. 已忽略文本「和書」 (幫助)
- 昭和19年6月1日〜昭和19年12月13日 第30駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(3). Ref.C08030149800. 已忽略文本「和書」 (幫助)
- 昭和19年10月29日〜昭和19年11月13日 第18駆逐隊(霞)戦闘詳報. Ref.C08030590200. 已忽略文本「和書」 (幫助)
- 昭和19年9月1日〜昭和19年11月11日 第1水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1). Ref.C08030087200. 已忽略文本「和書」 (幫助)
- 昭和19年9月1日〜昭和19年11月11日 第1水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(2). Ref.C08030087300. 已忽略文本「和書」 (幫助)
- 昭和19年9月1日〜昭和19年11月11日 第1水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(3). Ref.C08030087400. 已忽略文本「和書」 (幫助)
- 昭和16年〜昭和20年 戦隊 水戦輸送戦隊 行動調書. Ref.C08051772000. 已忽略文本「和書」 (幫助)
- 駆逐艦五月雨『昭和十九年九月十日 戦闘詳報 (坐礁被雷報告)』『戦闘詳報』(昭和19年6月1日〜昭和20年1月24日 第27駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(5)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030148600
- 宇那木勁「T型駆逐艦(竹)戦誌」(昭和19年11月〜終戦時 T型駆逐艦(竹)戦誌) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030751400
- 野村留吉『第四航空戦隊 戦時日誌抜粋』(昭和19年5月1日〜昭和20年3月1日 第4航空戦隊戦時日誌抜粋 (旗艦日向行動等)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030742100
- 昭和19年6月1日〜昭和20月6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(1). Ref.C08030127500. 已忽略文本「和書」 (幫助)
- 第十一水雷戦隊司令部『自昭和十九年七月一日至昭和十九年七月三十一日 第十一水雷戦隊戦時日誌』(昭和19年6月1日〜昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(2)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030127500
- 第十一水雷戦隊司令部『ろ號作戦輸送部隊任務報告 門司-中城灣宮古島南大東島間作戦輸送 自昭和十九年七月十四日 至昭和十九年七月二十日』(昭和19年4月1日〜昭和19年8月31日 第1水雷戦隊戦時日誌(5)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030086800
- 第十一水雷戦隊司令部『自昭和十九年八月一日至昭和十九年八月三十一日 第十一水雷戦隊戦時日誌』(昭和19年6月1日〜昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(3)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030127600
- 第一海上護衛隊司令部『自昭和十九年十月一日至昭和十九年十月三十一日 第一海上護衛隊戦時日誌』(昭和19年8月1日〜昭和19年11月30日 第1海上護衛隊戦時日誌(3)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030141600
- 第一水雷戦隊司令部『多號作戦戦闘詳報第二號(自昭和十九年十一月八日至昭和十九年十一月十一日第四次輸送作戦)』(昭和19年9月1日〜昭和19年11月11日 第1水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030087600
- 第十一水雷戦隊司令部『自昭和二十年四月一日至昭和二十年四月三十日 第十一水雷戦隊戦時日誌』(昭和19年6月1日〜昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(7)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030128000
- 第三十一戦隊司令部『自昭和十九年十二月二十二日至昭和二十年一月三十一日 第三十一戦隊戦時日誌』(昭和19年12月22日〜昭和20年4月30日 第31戦隊戦時日誌(1)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030074800
- 第三十一戦隊司令部『自昭和二十年二月一日至昭和二十年三月三十一日 第三十一戦隊戦時日誌』『自昭和二十年四月一日至昭和二十年四月三十日 第三十一戦隊戦時日誌』(昭和19年12月22日〜昭和20年4月30日 第31戦隊戦時日誌(2)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030074900
- S士官の手記 史実調査部/沖波戦闘行動関係. Ref.C14061106300. 已忽略文本「和書」 (幫助)
- 昭和19.1~昭和20.2大東亜戦争経過概要(護衛対潜関係)其の2(防衛省防衛研究所)/昭和19年8月. Ref.C16120659900. 已忽略文本「和書」 (幫助)
- 昭和19.1~昭和20.2大東亜戦争経過概要(護衛対潜関係)其の2(防衛省防衛研究所)/昭和19年9月. Ref.C16120660000. 已忽略文本「和書」 (幫助)
- 昭和19.1~昭和20.2大東亜戦争経過概要(護衛対潜関係)其の2(防衛省防衛研究所)/昭和19年10月. Ref.C16120660100. 已忽略文本「和書」 (幫助)
- 昭和19.1~昭和20.2大東亜戦争経過概要(護衛対潜関係)其の2(防衛省防衛研究所)/昭和19年11月. Ref.C16120660200. 已忽略文本「和書」 (幫助)
- 昭和19.1~昭和20.2大東亜戦争経過概要(護衛対潜関係)其の2(防衛省防衛研究所)/昭和19年12月. Ref.C16120660300. 已忽略文本「和書」 (幫助)
- 第2次世界大戦略歴大東亜戦争経過概要(防衛省防衛研究所)昭和19年10月経過概要~昭和19年12月経過概要. Ref.C16120725100. 已忽略文本「和書」 (幫助)
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