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大江山 | |
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最高點 | |
海拔 | 832米(2,730英尺)[1] |
座標 | 35°27′12″N 135°06′24″E / 35.45333°N 135.10667°E |
地理 | |
位置 | 日本 京都府與謝野町・福知山市・宮津市 |
所屬山脈 | 丹波高地(丹後山地) |
大江山(おおえやま)は京都府丹後半島の付け根に位置し與謝野町、福知山市、宮津市にまたがる連山である。標高832m[1][2]。別稱、大枝山・與謝大山・千丈ヶ嶽。
酒呑童子伝説で知られる。また、雲海の名所としても知られている。2007年(平成19年)8月3日には丹後天橋立大江山國定公園として國定公園にも指定されている。新・花の百名山に選定されている。
山としての大江山
全體を大江山連峰と呼ぶため大江山と呼ばれる頂上をもった峰があるわけではない。連山には北東寄りから鍋塚(なべづか、763.0メートル)、鳩ヶ峰(はとがみね、746メートル)、千丈ヶ嶽(せんじょうがたけ)、赤石ヶ岳(あかいしがたけ、736.2メートル)と呼ばれる峰がある。このうち、千丈ヶ嶽が最高峰で832.5メートルの標高があり丹後地方最高峰である。千丈ヶ嶽には二等三角點「千丈ケ岳」、鍋塚には三等三角點「大江山」、赤石ヶ岳には三等三角點「赤石岳」が設置されている[3]。登山口としては與謝野町、宮津市、福知山市大江町がある。
山腹にはブナの原生林が広がり、稜線付近はナナカマドやヤマボウシ、山頂には笹原が広がる[4]。千丈ヶ嶽山頂からは南西側に間近に三岳山、西側に氷ノ山、南東側に丹波高地の山々、福知山および綾部市街、さらに鍋塚は360°の展望が開け、若狹灣、丹後半島を始めとして、視程の良い日には氷ノ山および白山、愛宕山なども望むことができる。
鉱山としての大江山(大江山ニッケル鉱山と河守鉱山)
地質學的には地球の深部から隆起した地層で超塩基性(蛇紋岩)の岩盤を持つ。金屬鉱脈が豊富で周辺には金屋など金屬にまつわる地名が多く見られる。
古くから鉱床があることは認識されていたが、大江山北西山麓の與謝野町(舊加悅町)において日本火工(日本冶金工業の前身)の子會社が1934年(昭和9年)に探鉱を開始し、低品位ながら無盡蔵のニッケル鉱石があることを確認した。その後、1938年(昭和13年)から1940年(昭和15年)にかけて大江山の鉱石を製錬する実験を試みた結果ついに成功し、1940年(昭和15年)6月からフル操業を開始した。
當初の製錬は大江山から遠く離れた石川県七尾の元セメント工場で行われたが、太平洋戦爭のための兵器製造に不可欠なニッケルを大量に確保するため大江山から近い、日本海に面した與謝郡吉津村(現在の宮津市)に新しい製錬所を建設し、そこへ専用鉄道(かつての加悅鉄道と日本冶金工業専用線)で輸送し、製錬した。
また大江山東側山麓の福知山市(舊大江町)佛性寺には河守鉱山(こうもりこうざん)跡があり、日本鉱業により1917年(大正6年)から1973年(昭和48年)まで銅、クロムおよび少量の銀の採掘が行われていた。主な鉱石はキューバ鉱、黃銅鉱、クロム鉄鉱、および磁硫鉄鉱などである。
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大江山ニッケル鉱山跡
鬼退治伝説
大江山には3つの鬼退治伝説が殘されている。一つは、『古事記』に記された、崇神天皇の弟の日子坐王(彥坐王)が土蜘蛛陸耳御笠(くぐみみのみかさ)を退治したという話。二つめは聖徳太子の弟の麻呂子親王(當麻皇子)が英胡、軽足、土熊を討ったという話、三つめが源頼光と頼光四天王が活躍したことで知られる、有名な酒呑童子伝説である。酒呑童子#妖怪としての酒呑童子を參照の事。 これは能の演目『大江山』(五番目物の鬼退治物)にもなっている。 これらの伝説にちなみ、大江山の山麓にあった廃鉱となった銅鉱山跡に1993年(平成5年)大江町(現在は福知山市の一部)によって日本の鬼の交流博物館が作られた。
なお、酒呑童子の本拠とした「大江山」は、この丹後の大江山であったという説のほかに、京都市西京區にある山城國と丹波國の境、山陰道に面した大枝山(おおえやま)という説もある。
鬼退治伝説の意味
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大江山では鉱山技術により富を蓄積していた。これに目を付けた都の勢力は兵を派遣、富を収奪し支配下に置いた。このような出來事が元になり自分達を正當化、美化しようとの思いから土蜘蛛退治や鬼退治伝説が生まれたのではないかとする説もあり、帰化人が山賊化し非道な行いをしたので鬼と呼ばれたという説もある。なお、具體的な鬼退治伝説としては、「酒呑童子伝説」、「日子坐王の鬼退治」及び、「麻呂子親王の鬼退治」が有名である[5] 。
短歌
小倉百人一首には「大江山いく野の道の遠ければ、まだふみも見ず天の橋立」(小式部內侍)という歌がある。ここでの大江山は本項でのものと京都市西京區の大枝山をかけているとの説もある。中腹に「日本の鬼の交流博物館」があり、館長は鬼の子孫と自稱する人物であり、各地で講演など行っている。
腳註
- ^ 1.0 1.1 標高値を改定する山岳一覧 資料2 (PDF). 國土地理院. [2014-03-26].
- ^ GNSS測量等の點検・補正調査による2014年4月1日の國土地理院『日本の山嶽標高一覧-1003山-』における改定値。なお、舊版での標高は833m。
- ^ 國土地理院 基準點成果等閲覧サービス 網際網路檔案館的存檔,存檔日期2010年7月15日,.
- ^ 川崎吉光 『大阪周辺の山250』 山と渓谷社、2001年
- ^ 日本の鬼の交流博物館ホームページ
參考書籍
1. 日本冶金工業社史編纂委員會編『日本冶金工業六十年史』(1985(昭和60)年、日本冶金工業)
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