宇宿允人
宇宿允人(日语:宇宿 允人/うすき まさと Usuki Masato,1934年11月8日—2011年3月5日[1]),日本京都府出身的指挥家。原名山口治,与宇宿嘉余子结婚后入赘改姓宇宿[2]。
简介
山口治在京都市西阵出生和长大。但曾在京都市立西阵小学校、京都市立上京中学校、同志社高等学校就读,后来因为经济原因转到京都市堀川高等学校。1957年,东京艺术大学器楽科毕业后,加入近卫管弦楽团。 1958年,经长号老师邀请转到NHK交响乐团,1960年至1968年担任该乐团首席长号手。
1962年,山口治举行了独奏会,后来跟独奏会的负责钢琴伴奏的宇宿嘉余子结婚改名为宇宿允人。
1968年9月,宇宿允人为了研究管弦乐指挥法,跟NHK交响乐团到纽约,研究纽约爱乐乐团的交响曲技艺。1969年9月,宇宿允人获朝比奈隆的邀请[3],担任大阪爱乐乐团的常任指挥至1973年2月。1974年,因为宇宿允人跟近卫秀麿学习管弦乐指挥法,当上东京佼成管乐团的指挥。1973年,宇宿允人因指挥韦华第的四季和柴可夫斯基的弦乐小夜曲获得大阪文化节奖。
参考
- ^ 宇宿允人氏死去 指挥者 - 47NEWS(よんななニュース)[失效链接]
- ^ 原田三朗‘オーケストラの人びと’p.178(筑摩书房、1989年)
- ^ “宇宿がNHK交响楽団时代、関西に演奏旅行した时に演奏上のアドバイスをした大阪フィルの楽団员が‘是非、宇宿を呼んだ方がいい’と朝比奈に推荐したのである”と、大和国男‘腐りかけたクラシック音楽界への警钟 ベートーヴェンの魂が响く 青少年の情操を育む指挥者・宇宿允人の音楽’(カズ出版、1995年)p.84にある。
- ^ 宇宿允人氏死去 指挥者 - 47NEWS(よんななニュース):[失效链接]
外部链接
前任者: 汐泽安彦 |
东京佼成管乐团指挥 1974–1974 |
继任者: 平井哲三郎 |