永享女王

永享女王明历3年8月20日(1657年9月27日) - 贞享3年闰3月5日(1686年4月27日))、江户时代前期皇族后水尾天皇的皇女。母为园国子(新广义门院)。幼名为珠宫明正天皇后光明天皇后西天皇的异母姐妹。灵元天皇尧恕法亲王的同母姐妹。

宽文2年(1662年)11月18日、入室大圣寺。同7年(1667年)4月20日出家称作永享大圣寺宫等称号。宽文年中、兼管大和国法华寺天和2年(1682年)赐紫衣特许。贞享3年(1686年)闰3月5日死去。法号为本元院恭岳。葬于京都大欢喜寺

参考文献

  • 芳贺登ほか监修‘日本女性人名辞典’日本图书センター、1993年。