大田實
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大田實(日語:大田 実〔大田 實〕/おおた みのる Ōta Minoru,1891年4月7日—1945年6月13日)是日本帝國海軍的一位將領,曾任受勳二等瑞寶章,歷任第2聯合特別陸戦隊司令官、沖繩方面根據地隊司令官等職,在沖繩戰役失敗後於戰壕內自裁,最終軍階海軍中將。
大田實 | |
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出生 | 日本 千葉縣長生郡長柄町 | 1891年4月7日
逝世 | 1945年6月13日 沖縄縣島尻郡豊見城村(現豐見城市) | (54歲)
效命 | 日本帝國 |
軍種 | 日本帝國海軍 |
服役年份 | 1913年–1945年 |
軍階 | 海軍少將 |
參與戰爭 | 第二次世界大戰 *侵華戰爭 太平洋戰爭 *沖繩戰役 |
年譜
- 1891年(明治24年)4月7日- 千葉縣長生郡長柄町出生
- 1905年(明治38年)4月1日- 千葉県立千葉中學校入學
- 1910年(明治43年)3月31日- 千葉県立千葉中學校畢業
- 9月12日- 海軍兵學校入校學
- 1913年(大正2年)12月19日- 海軍兵學校畢業 少尉候補生・裝甲巡洋艦吾妻乘組
- 1914年(大正3年)4月20日- 練習艦隊遠洋航行
- 1915年(大正4年)6月30日- 公務負傷
- 10月27日- 戰艦扶桑乘組
- 1916年(大正5年)12月1日- 任海軍中尉
- 1917年(大正6年)11月14日- 肺結核療養
- 1918年(大正7年)9月20日- 橫須賀鎮守府附官
- 12月1日- 海軍水雷學校普通科學生
- 1919年(大正8年)5月23日- 海軍砲術學校普通科再入學
- 12月1日- 佐世保海兵團分隊長
- 1920年(大正9年)7月1日- 兼任教官
- 12月1日- 任海軍大尉・海軍砲術學校高等科第20期學生
- 1921年(大正10年)11月29日- 海軍砲術學校高等科卒業
- 12月1日- 巡洋戰艦「比叡」分隊長
- 1923年(大正12年)8月13日- 戰艦扶桑分隊長
- 1924年(大正13年)12月1日- 橫須賀鎮守府附
- 1925年(大正14年)12月1日- 海軍砲術學校教官 兼 海軍機關學校教官
- 1926年(大正15年)12月1日- 任海軍少佐
- 1928年(昭和3年)6月25日- 免海軍機關學校教官 任 海軍工機學校教官
- 1929年(昭和4年)9月25日- 佐世保鎮守府附
- 11月1日- 橫須賀海兵團分隊長兼教官(陸戰術擔當)
- 1930年(昭和5年)6月1日- 兼 砲術長
- 1931年(昭和6年)11月2日- 海軍砲術學校教官(陸戰術擔當)
- 1932年(昭和7年)1月29日- 第1遣外艦隊司令部附上海陸戰隊第5大隊長
- 1936年(昭和11年)12月1日- 戰艦山城山城副長
- 1937年(昭和12年)10月16日- 特艦「見」艦長
- 12月1日- 任 海軍大佐
- 1938年(昭和13年)8月10日- 軍令部出仕(海南島上陸作戰研究)
- 1939年(昭和14年)1月20日吳鎮守府守府第6特別陸戰隊司令
- 1941年(昭和16年)11月1日中國方面艦隊司令部附第1遣支艦隊司令部附漢口海軍特務部長
- 1942年(昭和17年)1月15日出任- 橫須賀鎮出仕
- 1943年(昭和18年)6月9日勲二等瑞寶章寶章受章
- 12月1日- 第14根據地隊司令官
- 1944年(昭和19年)2月10日- 軍令部出仕
- 3月20日- 佐世保警備隊司令官兼佐世保海兵團長
- 1945年(昭和20年)1月20日- 第4海上護衛隊司令官兼沖縄方面根據地司令官
- 1968年(昭和43年)3月30日- 戰沒者敘勲により(勲二等)旭日重光章へ追陞。